葉月のこと

1日 8月に入って、今日は幾分涼しい。こういう日はお出かけ日和なんだけれど、病院から入院の連絡がはいるので、一日中家を離れられない。
 なぜかというと、旦那が最近少し耳が遠くなったようで、電話をよく間違えるのだ。
 でも時間がたっぷりあったおかげで、食器棚の整理ができた。
 捨てかねていた余分なフォーク、ナイフ、スプーンの類を思い切って処分。
 夕方近くなって、やっと病院から電話が入る。
 荷物をまとめていたら、旦那が「なにも今からやらなくても…」という。
きっと行きたくないんだ。夕方になって娘が完熟梅のゼリーを2個持ってきてくれた。これ、美味しい!
 この間買ってきた「直江兼続」の本が面白い。何カ月か前にのめり込んで好きになった真田一族が、また一味違う筆致で書かれている。それにしても世の中は何百年も同じことを繰り返して、進歩がないなあ。
この世に男がいなかったら戦争は起きない、という言い伝えは、戦国時代から現代まで連綿と続いているらしい。

2日 カズコさんが見えたので、彼女をだしにして「アンカフェ」のブルーベリーケーキを買ってきた。
直径2センチはあるかと思うような大粒のブルーベリーは、今しか食べられない。久々で美味しかった!
 とっておきの炊き込みごはんを炊いたら、シイタケがびっしり。
 今日は息子が一緒に夜ご飯を食べることになっていたけれど、彼は大の椎茸アレルギーなんだ。
 あさって入院したら、当分お寿司なんて食べられなくなる夫のことも考えて夕暮れになってから「とうきゅう」でお鮨を買ってきた。
 今日は後片付けが大変!なんたって朝から流しの汚れものを溜めていたんだから。
片付け終わってから、炊き込みごはんの蓋を開けたら、水っぽい。水加減を間違えたようだ。
 当分これをひとりで食べると思うと、うんざりして、冷凍にした。

3日 昨日は寝不足で私の歴史上初めてといっても多言でないほどの、だらけぶり。
一日中椅子から立ち上がらず、なんにもしない。
テレビも面白くないし、さりとて、働く気もなし、ましてや家から一歩も出たくない。完全に「絹ごしとうふ」状態。
 夕方になってやっと腰を上げて、「とうきゅう」に買い出しに行ったら、久しぶりでO夫人にばったり。
O夫人は亡くなったご主人とうちの旦那が学校時代のお友達だった方。少しの間おしゃべりをする。
家族ぐるみの仲良しグループだったけれど、半数以上の方が手の届かない所に、渡ってしまわれてもう会う機会がなくなってしまった寂しさを、話し合う。でも奥さんはだいたいが元気。
夫を食い殺したということかしら。

4日 朝から猛烈な暑さ。10時半に病院に行ったら、入院の窓口が大変な混みようで、30分待たされる。
やっとのことで入った部屋は4人部屋で、一泊7350円。眺めがよくてスペースが広く、きれいで、テレビの写りも良い。私が入りたいくらい。
 最近の相次ぐ入院で、病院慣れした夫は、早速ベッドをもっと柔らかいのにして、と注文。冷蔵庫に水を満杯にして、部屋の中のトイレをのぞいたり、環境整備に余念がない。        
 今のところあと2人の同室者の中で、一番元気だけれど、明後日の検査の後が思いやられる。
一緒に付き合ってくれた息子、娘と、環八のロイヤルホストでお昼を食べて帰宅。
 夜になって雨になるが猛暑が続く。

5日 「はづき」ってなんて柔らかい言葉なんだろう。何が語源になっているかは知らないけれど、たくましく伸びて天に差しのべられた枝を見ていると、父親の懐に抱かれたような柔らかい気持ちになってくる。
 通りがかりに、神社の大きな枝の下で、ふうっと一息つきながら、空を見上げて、今年はなんて忙しい夏なんだろうと、改めて思った。
 プールで、最近たまりに溜まったストレスを洗い流して、夫の見舞いに行く。
 今日は夕方担当医に会って、今後の方針などの説明を受けた。すべて教えてほしい、というのが本人の希望。
でもアンケートに余命をしりたいですか?という項目があったので、それは“No"と書きなさいと、命令する。
 入院してみて、改めて医療現場も変わったと実感。お医者さんは患者の顔を見ないで、パソコンと話をしている。
 今日の午後は都内各地でエキセントリックな雨が降ったけれど、行く道では全く雨に出会わなかった。不思議。
 今の夫の不安定な気持ちを代弁してくれたのかもしれない。

6日 ふかしイモの気持ちがわかるような、この上なくむしむしの一日。
 昨日の雨が冷気をもたらしてくれると思ったのに、期待はずれだった。
 午後の内視鏡検査が終わるころを見はからって、病院に行ったら、まだスタンバイだった。
同じ検査の人が混み合っているというのは、国民病なのかしら。
 結局5時スタートで、6時に帰室。全身麻酔のさめない朦朧とした病人を置いて帰るのは、ちょっと気になったけれど、7時に夫の友人のSさんが、カニを持ってきてくださるというので、帰る。
 お移りに夕べ届いた岡山の白桃とマスカットをお裾わけ。食欲がないので、そうめんを1束、たっぷりの擦り生姜で食べて終りにする。
 一人の生活はなんと簡便なのだろう。
 8月に入って慢性的な睡眠不足が続いている。今夜こそはたっぷりと寝たい。

7日 昨夜はなんとしても寝たかったのだけれど、12時を過ぎてもぱっちりと目が開いてしまっている。
そこで、とっておきの安定剤を飲んだら、4時に目が覚めてしまった。なんだ、効かないじゃないの。
 CDのモーツアルトを聴いているうちもう一度睡魔が襲ってきて、今度起きたら8時半だった。
 あわてて顔を洗い、玄米パン1個を牛乳で流し込んで、ゴミを捨てて家を飛び出す。今日のアクアサイズは11時から。
 たっぷりと汗を流してから、1時間のスイミングクラスに潜り込む。
 久し振りで、あてがわれたメニューをこなすのも悪くない。これからは、木曜日はスイミングクラスに決めよう。
 このクラスは先頭が75歳、その次が90歳という聞くだに恐ろしいファイトの塊なのだ。

8日 プールのお友達の李さんは在日37年の韓国人の大富豪。
とてもいい人だけれど、一つ難があるのは、質問が好きなこと。
プールで誰も名前を知らない常連さんがいた。その話をしながら、4人でお昼ごはんを食べていたら、その御当人がやってきた。
 いきなり、「ナマエハ?」そして、「トシハ?」。そしてその間に、チョコレートの皮をむいて食べる端から勧める。
「コレ、ニホンノワンコソバ タヨネ」と言いながら。一度彼女の経営する韓国料理店にいく約束になっているけれど、まだ果たしていない。
 皆と別れて、新橋から京浜東北線に乗ったら、浜松町の手前で急停車してしまった。しばらくして、アナウンスがあった。
 「8両目で非常装置が働いたので原因を調べます、ご乗車になってお待ちください」
誰かが「もうご乗車になってるよ、それ以外にどうしろっていうんだよ」周りからさざ波のような笑いが伝わってきた。
 病院のティールームで、お中元のお礼状を夫の代わりに書いていたら、点滴をつけた男性がお見舞いの人とやってきた。
 とてもたくましい体つきでどこが悪いのかわからないような人。
 話を聞いていたら急性肝炎らしい。「奥さん見舞いにくるの?」「1週間に1回だけくるよ」「おもうつぼじゃ」
 「うん、おもうつぼ、おもうつぼ」他人事ながら、どっちがかな?と考えてしまった。
 今日は楽しい会話をたくさん聞いて、心やわらかな日だった。夫は検査の影響で膵炎の合併症が起きている。
 点滴の針が2本になって、かわいそう。
 それはそうと、今日の大地震の予知は見事外れた。でもちいさな揺れがあったらしいけれど、私はその時間プールに入って大暴れしていて、気がつかなかった。

9日 風のおかげで、幾分暑さがやわらいだような気がする。1か月ぶりに美容院に行って、体が柔らかくなった気分。
 午後になって、病院に行ったら、まだ膵炎の症状が治ってないので、月曜日まで絶食だと言われて、夫はがっかりしている。
 2日前から水が飲めるようになったので、まだしあわせと思いなさい、と言い聞かせる。
 でもテレビで昨日始まった北京オリンピックを見ていて、幾分気分がまぎれているようだ。
夕方まで付き合って、立ち寄ってくれた息子の車で帰る。
 夕食後、久しぶりにスーパーに行って、食料を買い込んだ。夜のスーパーは大混雑。みんな明日の買い物を夜するらしい。
 私もこれからそうしよう。

10日 5時に起きたので、2枚の葉書を書く。いずれも昨日来たお便りの返事。
 涼しいうちにと思って、ポストに行って、ついでに近くをひとまわり散歩した。何十年も居ながら行ったことのない露地を通っていると、いろいろの発見があって、面白い。
 まだ戦前の建物が残っているのも、発見だった。
 この暑さの中を、見事に花を咲かせているお宅が多いので、自分のことを振り返って、反省した。
 犬を連れた紳士と行き会ったら、大きな声で、「おはようございます」と挨拶され、こちらもあわててご挨拶する。
 そう云えば毎朝日の出ごろに多摩川まで歩いている娘が、田園調布の町を通り抜けると、すれ違いざまに「おはようございます」とあちこちで挨拶される、と言っていたのを聞いたばかりだ。
 家の近くまで帰ってきたとき、表を掃いていた方があったので、思い切って「おはようございます」と言ったら、爽やかな返事が返ってきた。
 今日は早起きして三文どころか、百文の得をした感じ。
 夜ミノ夫妻がカニを食べに来るので、病院を5時に出る。久々に我が家の食卓に御馳走が並んで、至福の夜。

13日 ユトリーバのために大掃除をする……といっても、珍しく床を拭いただけ。
 しばらく小さくしていたテーブルに、板を入れて大きくする。これがもう大変!一枚と言っても、チーク材なので、大汗をかいてしまう。
でも今日は出席率が悪くて、5人のお客様。テーブルは小さくても大丈夫だったんだけどな。
 今日で10日間の病院通いで、さすがに疲れを感じるけれど、これが今の現実。甘んじて受けるしかない。
 ユトリーバは頑張っていたけれど、最近出席率が悪くて、いささか自信喪失気味。
 夕方病院に行って、夫と、もし出席が3人になったら、止めざるをえないかしらね、と話し合う。

14日 11時にプールに行って、1時間のみっちりアクア、その後に今度はハッピースイムを1時間。
一昨日クーラーをつけっぱなして寝てしまい、夏風邪気味で咳がだんだんひどくなる。
 病院で咳をするのははばかられるので、この期に及んでマスクを持っていく。
 もっと若い時は、少々の風邪はプールで治したものだけれど、さすがに歳を感じる。
 週末に夫が一時帰宅するというので、片づけなくては。なにしろ、彼のベッドは私のもので溢れてるんだ。

15日 63回目の終戦記念日。毎年この日だけ敗戦を語られる。あと10年経ったら、「かたりべ」もいなくなることだろう。
 今日は一日、ビルマで戦病死した、大好きだった叔父のことを考えていた。
 世の中はお盆休みで、東京ががらがらになる。晴海通りを走るバスは、めったにない走る機会を与えられて、喜び勇んで速いこと!新橋、豊洲間を15分で突っ走ってしまった。銀座の表通りは、短パンサンダル履きの外人さんが目立つ。
 それにしてもなんて暑いんだろう。暑さのあまり思考力もばらばらになってしまって、今日の日記も支離滅裂。

16日 母の23回忌の法事があるけれど、夫が病院から外泊してくるので、私は欠席。息子と娘にいってもらう。
 夫と久しぶりに家でゆったりと過ごす。私もそばの椅子でいくら寝ても寝足りないな、と思いながら、一日中を過ごした。
 こういう一日の過ごし方の値打ちを改めて実感する。
 夜は多摩川の花火だけれど、今年は初めて行かなかった。東急ケーブルの実況ライブを、電気を消して楽しむ。咳はだいぶおさまったけれど、変わりに肋間神経痛が起きて、昨夜は夜中にお風呂に入った。
 流石に今日は痛み止めを服用する。

17日 今日もどうしてこんなに、と思うほど寝ても寝ても眠い。
夫が自分の部屋に入って何かやっているので、寝椅子を占領して、ねる。
 夕方はお寿司を買ってきて簡単に済ませ、隣の若旦那(ムスメのだんなさま)の車で全員で病院に送り込んだ。
 あの眠さはなんだったのだろう。張りつめていた気持ちが、夫の一時帰宅でプッツンしてしまったみたい。
 夫は発病以来8キロ減った。

19日 朝6時、花に水やりをしていたら、黄色い蝶にまとわりつかれた。私が移動すると、あとをついてくる。
 卵色のかわいいこの子は、そういえば昨日も居たのを思い出した。ひょっとしたら、誰かの化身かしら?
 そうだとしたら、話しかけてあげなくては……。
 夫が13日に胆管癌の告知を受けてから、あっという間に1週間が過ぎてしまった。
これからが正念場だけれど、あろうことか私は夏風邪をひいてしまって、われながらかなりへたばっている。
 今一番考えなければいけないことは、夫に風邪を移さないこと。
「馬鹿は風邪をひかない」を自慢にしていたのに、この歳になって、すこし利口になったのかも。

20日 おとといから始まった抗がん剤治療が、いい塩梅に副作用が出てこず、病人はかなり退屈しているらしい。
 病院の病棟を渡り歩いて散歩しているようなので、極力付き合うことにする。結婚以来初めて手を握ったら、握り返してきた。
 これは愛情表現ではない、きっと一人歩きが心もとないんだ。
 今日は、まちこさんが来て下さったので、夕方までおしゃべりをして、大井町まで一緒に行き、JRに一駅乗って、大森からバスで病院にいったら、ベッドはもぬけのから。
 暫く本を読んで待っていたら、シャワーからご機嫌で帰ってきた。
 近くに美味しいパン屋さんを見つけたので、コロッケパンを買ってきて、デイルームで夫と一緒に夕食をとる。わたしだけ美味しいものを食べて、申し訳ないみたい。

21日 この間からお風呂用の洗面器を頼まれていたのに、忘れていた。初めて梅屋敷の商店街を歩いてみる。
 下町ほどのにぎわいはないけれど、国道までの1キロ弱に、庶民のための生活用品のお店が並んでいる。
あまり見かけなくなった、金物雑貨や昔懐かしい珈琲やさんなどを、物珍しく見学。
 今週は風邪が抜けないので、プールはお休み。病院では何があっても咳をしないことを決意?する。
マスク嫌いの私が、さすがにマスクをかけている。呼吸困難になりそう。
 夜になってものすごい雷雨。病院の窓から見ていたら、普段通らない筈の頭の上を、旅客機が低空飛行で飛んでいた。
きっと降りられなくて旋回していたのだろう。帰りの環パチは、立縞のような雨と、昼間のような雷光の中をくぐっていく。

22日 今日もプールに行かない。怠け癖がついてしまったこともあるけれど、なんだか体に力が入らないのだ。
こういう時は、今までだったらエイヤっとプールに飛び込んで直してしまったのだけれど、さすがに今回はあきまへんわ。
一日中ぼんやりと過ごしてしまった。な〜〜んにもしない特異日。

23日 おととい見積もりを頼んだエアコンが届く。朝9時という早さだったけれど、いっそ片づきがよい。
10,500円の取り付け料と壊れたエアコンの引き取り料を支払った。物を捨てるのも大変な時代になってしまった。
前のは5年でおしゃか。機械に外れたということだけれど、夫には言わないことにする。面倒だものな。
 それにしても前の保証書がどこにいってしまったのやら。間違いなく5年の保証を付けていたはずなのにぃ!

24日 小学校の「華の会」に行く。横浜駅前のベイシェラトンの「木の花」は、おなじみの場所。そして、いつもどおりこの上なく楽しい会だった。
 ホテルのチェックインがものすごい混雑だと思ったら、今日はサザンオールスターズのお別れコンサートが新横浜であるそうで、他府県からのお客だということだった。
 帰りに横浜から京浜東北線に乗って、病院に行く。おとといから発熱してまたもや点滴、絶食となった夫には御馳走のことは言わないことにする。
 明日の2回目の抗がん剤は取りやめになって、また入院が延びることになる。
 3日前からまちこさんが産経エクスプレスを手配して下さり、私は届ける楽しみ、夫には読む楽しみができた。
 心からありがたく思う。またしても思うのは、私はお友達に恵まれていること。

25日 デイホームの朝のごあいさつで「今日は何の日?」というのがある。
今日は「嬉しい嬉しい給料日」だそうで、年金生活者にとっては、懐かしい昔の話だ。
 なんだか多忙な一日だった。デイホームからまっすぐに整形外科の先生の所に寄って、いつまでも治らない咳の薬を頂いてから、郵便局で夫に頼まれた会費の振り込み。帰ってから夕食の鶏団子と、こんにゃく、生揚げ、里芋、インゲンの煮ものを作って、お昼を食べて、気分転換にパソコンゲームを1回。
 今日は家の近くから雪が谷まで1時間1本のバスに乗ろうと思ったら、タッチの差で行ってしまう。
仕方なく隣の田園調布まで15分歩いたが、ここもタッチの差で蒲田行きがいってしまう。15分待ち。
 蒲田から病院までのバスが30分来ない。雨の中長蛇の列。やっと来たバスで荷物がじゃまだと、おばさん二人のけんかが始まる。
 そこへおじさんが一人割り込んで、賑やかなこと。そのおじさんによれば、バスが遅れた原因は、道路拡張工事のためだという。

小父さんのセリフ……、
「大田区の奴らはせこいんだよなあ、地価130万円の土地の立ち退き料を300万も要求して、だから話が進まないんだ」(へえ?そうなの)
「その300万円のためにおれらの税金使われんだものなあ」(そりゃひどいわ)
 小父さんがぶつぶつ呟くのをみんなしんとして聞いていた。でもそのおじさん30分も待った挙句、話が途切れたと思ったら、2つ目の停留所で降りて行った。

30分なら歩いて2往復出来るのに。私はと言えば、家の車なら20分、電車に乗れば40分で行ける病院に毎日1時間かけてバスで通っているんだ。
 シルバーパスを目いっぱい使ってる私は、待たされても、混雑しても文句を言うのを遠慮する。
「ありがたや、ありがたや」ってね。

26日 クラス会で会った時から、草むしりを手伝ってくださるといわれていたが、ミワコさんが本当に来て下さる。
 しかもしゅうまい弁当付きで!
1時間ちょっとの間に、玄関先がすばらしくきれいになった。
私も庭仕事は嫌いではないのだけれど、最近すっかりさぼってしまっていたのを、彼女は見かねて手を出してくださったらしい。
 お喋りしながらの庭仕事はとても楽しかった。
 3時半までの有効な時間を過ごしてから一緒に出て、今日は電車で病院に行く。電車のなかで、手の指が両手ともつって動かなくなった。初めての経験。
何度かもみほぐして治したけれど、これってなんなの?その後治まってしまった。

29日 昨日から暑さが病院に戻ってきた。部屋は4人部屋だけれど、とても明るく、広くて清潔で申し分ない。
 私だって出来る事なら1週間ぐらいこのベッドでゆっくり寝てしまいたいと思うけれど、決定的な問題がある。

 夫は抗がん剤の副作用で、白血球と血小板が減って、目下3週間、化学治療を休止している。看護師さんが何度も来て、感染症が怖いので、ベッドの中でもマスクをして、トイレも部屋の中のを使え、という。
 なぜかというと、同室者に重症の肺炎患者がいて、一日中げろげろとやっているのだ。
 それに加えて、向かいの住人は、やくざ風の言うならば牢名主。カーテンは全開で一日中大きな声でしゃべり、夫がだんだんといらついてきている。
 昨日の夕方のこと、娘さんが来たときに、看護師に言ってエアコンを止めさせろ、と云い、たちどころに温度が上昇した。

 ついに堪忍袋の緒が切れた私は、決意を固める。今日看護師さんが来たときに、具合はどうですかと聞いたので、いままで我慢していたことを、全部ぶちまけて、部屋を変えてほしいと頼んだ。
 夫がいるのは新しい3号館だが、2号館なら部屋があるかもしれない、見て来てください、と言われて、夜になって来た息子と見に行った。
 なんだか古くて暗い。受付の雰囲気も第一印象が悪いので、これは夫のためによくないと、判断した。
看護師長さんと話し合いの結果、こちらがかなりはっきりとものをいったのが功を奏したのか、うまくいけば週末に、同じ3号館の部屋が空けられるかもしれない、と言うことになった。
 考えてみればこちらも必死でかなりきわどいことを口走ってしまった。
例えば、夫は病気を治すために入院しているのであって、刑務所に入っているわけではない、とか、4人部屋なのだから、なにかことを起こす時は4人の意見を調整してほしいとか……。あたりまえのことだけれどうるさい奴と思われたかもしれない。でも、こっちも気持ちを分かってほしくて、必死なんだ。

 この病棟はもともとが、手術患者のための部屋なので、手術が出来ない夫のいるべきところではないようだけれど、頼りになる息子も頑張ってくれて、ここにいられることになりそうだ。
なんだかどっと疲れたが、新しい環境に入れる見通しがついたので、ほっとした。この際1日7,350円は我慢しよう。

30日 土曜日なので息子が病院の玄関まで車で送ってくれた。病室に行ったら、看護師さんが、お部屋のご用意ができています。と言いに来てくださった(彼女は私の大好きなベテランさんで、癌の告知を受けたときに付き添ってくれた人だ。奥様さきにご覧になりますか?と言われたので、一緒に行って少し立ち話をする。とても優しいひと)。
 思いがけない早さだ。今度の部屋は少々西日が当たるけれど、景色が開けてとても気持ちがいい。
 今度も同じ4人部屋だけれど、今までのうるさい雰囲気から解放されて、夫としばしの静寂を楽しむ。
1か月足らずの生活だけれど、引っ越しは結構大変だった。3往復して3つ離れた部屋まで運ぶ。
 帰り際に看護師長さんが、「言いにくいことを言わせてしまってごめんなさい」と言って下さり、行き会うほかの看護師さんたちも、「気にしないで下さいね、それより奥様が心配、しっかり食べて、しっかり寝てください」と声をかけて下さり、ひとの温かさが身にしみた。
 これで治療がうまくいけばいいのだけれど。
7時に息子が迎えに来てくれたが、外に出たら、ワイパーが使えないほどの豪雨だった。

31日 なんと落ち着かない1か月だったのだろう。例年にも増す暑さだったけれど、なにも考えないうちに終わってしまった。
 この間から気になっていた黒のワンピースを、やっぱり買おうと思って、「Aura」に行く。
こういう気分の時はちょっぴり贅沢をするのも特効薬だと、屁理屈をつける。
 少々腰骨が目立つけれど、大嫌いなボディスーツを着ればどうにか形が付く。
このお店のはほとんどがヨーロッパ製なので、袖丈が長いけれども、ラインがとてもきれい。
ついでにタンクトップと、茶色のブラウスを買って、占めて3万円。このお店は、「わたし値段」があるのだ。
茶色のブラウスは、丸めてバッグにいれても皺にならないすぐれもの。お店の端っこに放り投げてあったのを 手に取ったら、それ売れないからう〜んと安くするよ、というので、半そでと長袖のセットで5千円で買った。
着てみたらとてもいい。カクマツさん後悔したかな?
 帰ってから、一人でファッションショーを楽しみ、十分幸せな気分で病院に行った。
 旦那も体調がよくなって、3分粥が出るようになり、新しい部屋で窓からの景色を楽しんでいた。

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